「In My Heart」と「虹が降る街」― 制作後記

(この記事は実際には2022年4月25日(M3-2022春の翌日)に書かれたもので、公開を先送りにしていたものです。ご了承ください。)

 M3-2022春では多くの方にCDをお求めいただき、暖かいご声援や差し入れもいただき、本当にありがとうございました。
 帰路の飛行機の中からこのあとがきをしたためていました。

言及している頒布物『In My Heart』の情報はこちら
https://inmyheart.silentrm.net/


In My Heart

 アルバムのフラッグシップ・トラックであった『In My Heart』は、もともと2018年12月に出来心でTwitter生放送(旧Periscope)で配信した、DAWからの音を聴かないままに音を想像して楽譜を書き作曲をするという試みで生まれた楽曲がもとになっています。

『In My Heart』スケッチ版

 頭のなかだけで想像しながら作った曲ということになります。その後2019年ごろ、自分の中でひっそりと『In My Heart』とこの楽曲に名前を与えて呼んでいました。(実際には、スケッチ中の完成に向けての手直し作業ではいくらか音を聴いて修正をしていましたが、それはご愛嬌ということで……。)

 時は過ぎて2021年、かねてから予定していた2022年半ばよりの音楽活動の休止時期が近づいてきた時期になりました。そこで、いままでの音楽創作をまとめたアルバムを『Rainbow Frontier』(2019年)以降にももう一度だけ制作しておきたいと思い立ち、アルバムのコンセプトを探しはじめました。

 アルバムに収録したい楽曲として、音楽ゲーム向けに制作した楽曲たちのロングバージョンや、2018年以降の自分の自主制作作品のうち気に入っているものをピックアップして拾集したいと考えていました。そのため、アルバム全体を包括的にまとめるコンセプトには、自分の作風の多様性の下にある、何か通底的なものを選ぶ必要があるだろうと検討していました。

 前作『Rainbow Frontier』では、自身の作った楽曲の音楽性の多様性および前進的なエネルギーを色彩表現として内包するため、虹をモチーフに用意していました。そこで今作においても、虹のような色彩豊かな表現ないしは、多様性をはらむ土台となる要素をコンセプトとして据えたいなと思い、「虹」を前作から引き継ぐほか、今回は加えて「心」ひいては「想像力」をアルバムのコンセプトとして選ぶことにしました。

 そう思考を広げていった時、過去に執筆した『In My Heart』はその楽曲の生まれた経緯がまさにアルバムの設定したコンセプトに合致していると思いあたり、アルバムのタイトルとフラッグシップ曲として選び取ることとしたといういきさつがありました。

『In My Heart』アルバム収録版

想像力

 多様な音楽の良さを大切にして音を置いていこうという思いに、今でこそ、ある程度技術が追いついてきたことで、その理想の現実化がだんだんと可能になってきているのではないかと自負していますが、もちろんはじめからこうであったわけではなく……。音楽の音の運びや流れを勉強して自身の感覚の一部とするために、音楽をやっている方は誰しもそうだと思いますが、わたしも十数年を連綿として費やしてきました。

 意識的に作曲をうまくなろうと思って先人の楽曲を丁寧に見るようになったのは10歳の夏ごろからでした。ある音の次にどんな音が続き楽曲が展開するのかという部分に対しての感性や想像力を、日頃聴く音楽の観察を通じて少しずつ磨いていきました。
 小学生の給食の時間に配膳を受け取りながら、頭のなかではPARANOiA (*注… DDRシリーズの楽曲。) の創作アレンジの1フレーズのアレンジアイデアがずっとぐるぐると回り、中学生や高校生となっても、毎日の登下校のときには当時遊んでいたBMSや聴いていたインターネット音楽に影響され、さまざまなジャンルのクロスオーバー例を頭の中で想像していました。

 その一方、まったく別の話として、私が年齢一桁のころ、頭の中でゲームの世界やキャラクターたちが自由に繰り広げるやりとりを想像したり夢見たりということを毎日のようにして遊んでいたのを覚えています。自分の内側で想像したり、紙に絵を描いてみたり……。
 毎晩布団に入っては頭のなかをかけめぐっているのは好きなゲームの世界の景色でした。目をつむれば彼らの会話や動きがなんとなくマンガや映画のように想像できたし、彼らが次になにをするのかということをシームレスに感じとることができていたのを覚えています。

 このファンタジーな想像の力は年齢を重ねるにつれ薄まっていきました。特に音楽に興味を強く惹かれ、作曲を積極的に考察しはじめた10代初期のころ、音楽の法則や次に来る音への感性を磨くなか、それに逆行するかのように、自分の想像の世界における自由な想起や滑らかなレスポンスというのがどんどん鈍っていくのを如実に感じていました。中学生にもなると、彼らが次になにを話すのか会話の続きをだんだん想像しづらくなったし、彼らの動きはアニメーションのようななめらかなものではなく、数枚のスクリーンショットのような静止画的なカットに変わっていきました。
 すっかり大人といえる年齢となってしまった今では、会話を想像すること自体難しいし、彼らの姿を心のなかに幻視することも難しく、像を結ばないという状態です。

 もちろん、幼児期・学童期から大人になるにつれての発達としては、より現実的なテーマばかりに思考が向くようになるというのは、皆が経験するようなまさに「よくある話」だろうと理解していて、実際少なからずの人が経験したような感覚だったのかもしれません。ですが私にとっては、その自由な想像の世界へのアクセスが落ちていくのを自覚するのと、私自身の音楽に対する感性が立ち上がっていくのとがちょうどクロスオーバーしているように当時感じられていたため、自分が持っていた想像力が音楽に吸い取られているのではないかとすら思ったことがありました。

 目を閉じても想像がつづかないのに、かわりに音楽のアイデアがやってくる。そういう中学生頃の感覚の記憶が今でも忘れられず残っています。


原風景

 幼いころ、彼ら架空のキャラクターの想像で遊んでいたとき、私自身のしたいことと彼らの反応との間のインタラクションの発生は、地球のような現世ではなく、そのキャラクターたちの住まう世界で起こっているように想像されていることがほとんどでありました。

 しかし、12歳ごろに見たある夢はその特徴とは大きく違っていてよく覚えています。
 ある冬の日、普段の通学路にあった古めかしいマンションの一室の前に私がいて、扉がとあるゲーム作品の世界につながっている。その作品で私がいたく気に入っていた二人のキャラクターが、扉からこちら側、現実へやってくる。そして二人はマンションの廊下にいる私と並び、遠くまで広がる現実の市街を三人で静かに眺める……、という夢でした。

 こういった、現実と非現実の世界が明確に交差するような夢は以後一度も見ることはありませんでした。この夢を見たのは、ちょうど音楽感覚の成長とクロスフェードするかのように架空への想像力が薄まるのを自覚していたまさにその時期であったので、なんだかこのビジョンが何かを象徴しているか、まるで彼らから私が何かを問いかけられているようだと、いたく印象に残ったのを覚えていました。

 あれから10年以上の月日が経ち、そんな夢の原風景の思い出は記憶の遠くにしまい込まれて、なかなか思い出す機会は現れませんでした。
 ですが今回、『In My Heart』を作る中で、自分の音楽の文法や感性はどうやって育ったのだろうかと思い返してみた時。それはもちろん、多くの先人の作品を聴いたことで自分の音楽感性が成形されたのだろうと考えました。しかし同時に、昔は自分に備わっていたはずの自由な夢想の想像力を上書きするように、音楽の導き方をわたしは身に着けていったことをふと思い出して、この原風景の思い出が心のなかに甦るように感じました。

 考えてみると、もともと頭の中で夢想をしていた思考の領域にオーバーラップする形で音楽の領域が育ったと仮定するなら、まさにそのエリアの反応から生まれたのがもしかすると『In My Heart』という曲なのではないかという風に思い当たりました。架空の空想も音楽の想像も、どちらも「次に何が起こるのか」という部分に対してアイデアを膨らませる部分がそっくり似ているようにも思えます。

 こうして、自分にとってなんだかより重要な1ピースであるように感じられてきたこの曲に対し、自分の感性の歴史を振り返るような心地を含みつつ、Reprise版を自主的に制作することにしました。

 自分の想像力の転換期、今の自分の音楽へと続く感性の変化。自分が音楽のために焚べてしまったかもしれない夢の世界。
 今振り返ればそのすべてを象徴していたようなあの夢の景色は、今となっては人に語るのははずかしいパーソナルな領域の思い出ですが……、今回はそれをアイデアの土台にして、素敵なアルバムアートワークを蟹江さんに描いていただきました。

『In My Heart (Reprise)』

虹の根元

 夢と想像の世界がだんだんと何となしに自分から離れゆくのを経験しながら、月日は流れゆき、気づけば高校受験、大学受験と終わり、あっという間に大学のキャンパスを離れる時期がくるかというころ。
 ひとたびかつて遠ざかった夢の世界のことを思い出すことは少なく、さらにまばたきをすれば、社会的な責任を自覚するような季節までやってきてしまいました。
 自分がインターネットでの音楽活動を始めてから10年が経過したということも落ち着いて考えてみると少し恐ろしいことです。

 現在、ここ数年、かけがえのない巡り合わせに恵まれており、私が作っていた楽曲を多くの方に聴いていただく機会が増えました。また、私の作品を好いてくださる方からありがたいことにメッセージを頂戴することもちらほらございます。本当に嬉しく、貴重なことだと思っています。
 おかげさまで、自身の音楽が他人に与えることのできるポジティブな効果について心が向くようになりました。私の作品を聴いて曲自体を好きになっていただいたり、特定の音楽ジャンルに興味を持っていただいたり、ご自身の創作にアイデアを生かされたりと、身に余るほどのありがたい報せを頂戴しています。

 しかしこれが意味するのは、自分が先人の作品を好いて、そこからアイデアを学び自分の糧とした形式と同じ流れが、今度は自分を上流とし、下流の枝葉節々でそれが起きているということなのではないかということを、身の程知らずにも考えさせられました。
 もともと影響の流れとしては昔は最下流に位置していた自分が、いま放出する作品を通し、次の世代に影響を少なからず与えうるのだということを自覚すると、襟を正す気持ちになります。何より無責任に放逐された半端なものを生み出してしまうことで、それを他人に取り沙汰してもらうわけにはいけないと思い、より注意して良いものを作っていこうとしています。

 このように自分の音楽作品が他人の感性や創作に影響しうるということを考えるさなか、ふと幼い頃の夢の原風景を思い出すと、飛躍的ではありますが、夢の中で私の隣に居てくれた二人は(彼らをすっかり見なくなった今、思い返してみると)あの日の自分が持っていた夢想的な想像力を象徴する存在のように見て取れるようでもあるなと、そういう感じ方をするようになりました。
 彼らといっしょに街を見渡す夢を見てからは長い年月が経ち、いまでは現実で周りを見回すときには隣に誰もおりませんが、かわりにそこには私の楽曲を聴いてくださる方が少なからずいらっしゃいます。

 古い想像の世界、夢の景色から続く自由な想像と創作が、現代の自分の音楽に結びつくことでだれかの心象や想像・創造につながる機会をいただくことができているとしたら。その意味や意義とはなんであろう、この古い想像力のうえに育てた音楽の想像力で何ができるんだろうと、ずっと考えてしまいます。
 2019年の『Rainbow Frontier』当時に多様性と前進性の象徴として記したあの虹は、いったいどこから立ち上がっているものなのか。
 昔はおぼろげだったそのイメージ、それがなんであったのか、今は少しずつわかってきたような心地です。


虹が降る街

 この曲には、当初は「虹」というテーマは存在していませんでした。
 やどりぎ君と何か合作で曲を作ろうよと、いくつか相談をしていた時、最初に作品を作るための全体のカラー感を話し合っていました。そこで、雪の街の夜景色、電灯の暖かさ、星空、純粋さと大人らしさの中間、過去を振り返り前に進むこと、といった雰囲気をまずはピックアップしていました。
 上記の雰囲気をまずは土台にして実際に作曲を共同して数日進めてみると、素朴だけれども素敵なメインメロディーを思いつきました(動画 1:16~)。

『虹が降る街』

 そのモチーフは、楽曲の後半で-2の転調をして再度現れる(3:43~)のですが、それがなんだか、ある子供が時が過ぎて大人になってから思い出を回顧するようなカラーを醸し出していて……。
 もしかすると、この曲が表現することのできるものは、大人になった今に、自分の古い夢の景色を望遠するようなアイデアなのではないかと、そう感じられました。
 そこで、タイトルを私が提案させていただき、アルバムアートワークにもあやかって、この曲を『虹が降る街』と命名しました。

 私が思う「虹が降る街」という場所は、こちら側の現実で、アートワークでは左側に位置する世界のことなのです。古い夢の世界から立ち昇る虹に込められていた想像力の奔流が、音楽や創作に形を変えて、街の人々にそのしずくの一滴一滴が注いでいくようなイメージをアートワークから感じ、このタイトルを思いつきました。

 自分の夢の景色や自分の妄想的な想像力が、音楽を考える領域に転成していったのではないかという感想は、すべて自分の勝手な印象であって、ひとつとして現実の物理に根拠があることではありません。でも、幼いころの自分の想像が、実は形を変えて今日の創作までつながっているのだと。そう思ってみたい、今日の私はそう感じています。


 これからもやることは多く、私は自分にひたすら甘く、ついつい遊んでしまうけれど……。何か自分が作りたく、自分がやらないとこの世に生まれないものが心のなかにあるうちは、創作活動をこれからもやりきっていきたいと思います。

 今では二度と会えない、想像のなかに生きていた世界に胸を張れるように。
 そう思って頑張ると、あの日の夢の彼らの問いかける眼差しが笑ってくれる気がします。
 頑張れ自分。

2022年4月25日 執筆
2023年8月5日 推敲、公開